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群馬(ぐんま) 四万温泉 春木亭 なかざわ旅館 〒377-0601 群馬県吾妻郡中之条町四万温泉

春木亭・なかざわ旅館>戦国武将「真田氏」ゆかりの地

信州真田の庄から上信越国境・鳥居峠を越え、吾妻の岩櫃山、中山の権現峠を経て沼田へ続く北上州の道を、世に「真田道」と
言います。戦国武将真田一族が六文銭の旗印のもと、上州侵略の運命をかけた兵馬往来の道でした。
 
 
沼田市

沼田城
  JR沼田駅から
  徒歩15分
 
 
 
 
 
 
 
みなかみ町 名胡桃城
  関越道月夜野ICから
  車で約2分
 
 
 
 
 
高山村 中山城
  関越道月夜野ICから
  車で約20分
 
 
 
 
高山村 尻高城
  関越道月夜野ICから
  車で約25分
 
 
 
中之条町 嵩山城
  関越道渋川伊香保IC
  車で約50分
 
 
 
 
東吾妻町 岩櫃城
  関越道渋川伊香保IC
  車で約50分
 
 
 
 
 
 
長野原町 丸岩城
  関越道渋川伊香保IC
  車で約60分
 
 
 
 
 
 
長野原城
  JR長野原駅から
  徒歩約20分
 
 
 
 
 
 
 
羽根尾城
  JR羽根尾駅から
  徒歩約15分
 
 
 
 
 
 
 
 
海野長門守の墓
  JR羽根尾駅から
  徒歩約15分
 
 
 
嬬恋村 鎌原城
  JR大前駅から
  徒歩約80分
 
 
 
 

沼田城(沼田市)
永禄12年(1569)、家督をめぐり沼田氏に内紛が起き、沼
田城には上杉氏が城代として入るようになった。
天正6年(1578)に上杉謙信が死亡すると、上杉家では後
継者の座をめぐって内紛がおき、その隙をついて北条氏が
沼田を奪いとる。一方、西からは武田勝頼の命を受けた真
田昌幸が沼田城攻略に乗り出し、天正8年(1580)にこれ
を奪取。天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、北条氏
と真田氏の間で沼田城争奪戦が繰り広げられます。
天正17年(1589)豊臣秀吉が仲裁に入り、沼田城は北条氏、名胡桃城は真田氏のものと
決めますが沼田城代猪俣邦憲が名胡桃城を急襲。これを知った秀吉は激怒し翌年小田原
城を攻撃に北条氏を滅ぼしました。その後、沼田城は昌幸の嫡男信幸に与えられた。
名胡桃城(みなかみ町)
天正年間(1573〜1592)に沼田城の支城として築かれたとされ   
ています。上杉、武田、北条氏が、沼田領有のための足がかりとし
て争奪を繰り返しました。
天正6年(1578)には武田方の真田昌幸が沼田城攻略としておさ
えました。天正7年(1579)北条氏が2度にわたり攻撃をするが真
田氏は防衛に成功している。  
中山城(高山村)  
建保2年(1214)に武蔵児玉党の阿佐美氏によって築かれたと

  
されています。
阿佐美氏はやがて中山氏を名乗り、17代約380年もの間、中山
城を居城としていた。しかし戦国時代、武田氏が吾妻へ侵略してく
ると、武田氏配下の真田氏に従うようになり、天正10年(1582)
北条方白井長尾氏の攻撃を受け中山城は落城した。  
尻高城(高山村)
1400年代はじめ、藤原重義の築城と言われています。
重義は尻高左馬頭と号し、以来約180年居城となった。
永禄8年(1565)武田信玄による上州侵攻により、真田昌幸に攻
められ落城した。  
嵩山城(中之条町)
永禄6年(1563)に真田幸隆の吾妻郡侵攻により岩櫃城が落城   
すると岩櫃城主だった斉藤憲広、憲宗父子は越後の上杉謙信を
頼って敗走。憲宗の末子、城虎丸は嵩山城に立てこもり真田氏と
四万川を挟んで対峙します。永禄8年(1565)11月真田幸隆は
嵩山方の池田佐渡守父子を味方につけ、総攻撃を開始、高山城
は落城した。城虎丸は自害し、斉藤しは滅亡した。  
岩櫃城(東吾妻町)
南北朝時代に斉藤によって築城され、戦国時代には東吾妻   
の中心的な城でした。永禄6年(1563)に真田幸隆の命を
受け海野兄弟らが攻略しました。幸隆が岩櫃城に入ってか
らは、沼田方面攻略の拠点となり上田・沼田間の中継点と
しての機能を果たしていた。天正10年(1582)、織田・
徳川連合軍に負われた武田勝頼を迎えいれるため御殿
(潜竜院)を建立しました。しかし、勝頼が天目山で自刃し
たため、迎えることはできることはできませんでした。  
丸岩城(長野原町)
永禄年間(1558〜1570)に羽根尾城の羽尾幸全が築城   
したとか、北条氏の西吾妻侵攻に備えて真田昌幸が築城し
たとも言われている。天正10年(1582)、武田氏滅亡によ
り空白地になった吾妻へ侵攻を始めた北条氏は、須賀尾峠
を越え西吾妻に入ろうとするが、西吾妻を領有していた真田
昌幸は、湯本氏、西窪氏など西吾妻の武将を丸岩城に駐屯
させ、対抗していた。丸岩城の近くには柳沢城があり、連携
して須賀尾峠、吾妻街道に目を光らせていた。  
長野原城(長野原町)
武田信玄が上州への進攻を開始すると、武田方の真田幸
隆は永禄5年(1562)に斉藤氏のものであった長野原城を
落とします。長野原城には幸隆の舎弟、常田新六朗が入
り、岩櫃城の斉藤憲広とにらみ合う。永禄6年(1563)、斉
藤憲広は農繁期のため郷士が地方に戻り手薄に為った長
野原城の攻略に動く。常田新六朗は自ら須川西岸の諏訪
神社の辺りまで出て斉藤方を迎撃しますが討死し、長野原
城は斉藤方の手にわたりました。斉藤氏が奪い返した長野
原城には、羽尾幸全、海野幸光が入りますが、直ぐに真田氏に奪い返されます。
羽根尾城(長野原町)
天文年間(1532〜1555)に羽尾幸全によって築城され
た。武田氏が西上州攻略を開始する以前、吾妻群西部一帯
は海野一族が支配しており、現在の長野原町羽根尾周辺
は羽尾氏の勢力下にあり、羽根尾城はその本拠地だった。
天文10年(1541)信州佐久方面に進軍した武田信虎らの
連合軍に追われた真田幸隆らは、鳥居峠を越えて上州に入
り。羽根尾城の羽尾幸全を頼った。幸隆は幸全にかくまわ
れ、後に長野業政の箕輪城に身柄を預けたが、信虎を追放
して甲斐を治めていた武田信玄に恭順。信玄に西上州攻略の先方衆を任じられました。
幸隆は岩櫃城の斉藤氏と鎌原城の鎌原氏の対立を利用して羽根尾城を落としました。
海野長門守の墓
羽尾幸全の弟海野幸光は、永禄9年(1566)岩櫃城攻略の戦功により、真田幸隆から岩櫃城
代を任ぜられ、16年間吾妻郡を治めた。しかし、真田昌幸に逆心したことで攻め込まれ、自害し
た。羽根尾は旧領であったため、遺臣によってこの地に葬られました。
鎌原城(嬬恋村)
応永4年(1397)に海野一族の鎌原氏によって築かれた。
鎌原氏は室町時代以降、西吾妻一の豪族になりました。天
文20年(1551)上杉憲政が北条氏により平井城を追わ
れ、越後の上杉謙信を頼ると上州は大大名の空白地帯にな
り小豪族が乱立。鎌原氏をはじめとする小豪族は岩櫃城の
斉藤氏に従うようになった。永禄3年(1560)鎌原幸重。重
澄親子は真田幸隆の紹介で武田の配下となり、斉藤憲広と
抗争を繰り返した。永禄5年(1562)に斉藤方の羽尾氏に
鎌原城を奪われ、信濃に退去するが翌年、武田氏と真田氏の支援を受けて鎌原城を奪還
します。
       
                         
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